PROFILE

「こうたろう」憂いの年表

昭和36年1月
北九州市小倉区に生まれる。
昭和39年11月
父と死別。父母の実家のある宮崎市へと移り住む。
母が働きに出ることとなり、住む家の出来上がる間、親戚の家にしばらく預けられる。
昭和41年4月
国富保育園に入園。数々の問題を巻き起こすため「悪ガキ」のレッテルを貼られる。それがいつしか快感となる。
昭和42年4月
宮崎市立国富小学校に入学。同姓同名の同窓生がいることが発覚。彼とは中学を卒業するまで、一度も同じクラスにならず。
近所のかなり年上のいじめっ子に連日のように社会を強く生き抜く指導を受ける。バイクにタバコ、早すぎる世界に身を置きつつも、暗く寂しい小学生時代を送る。
昭和48年4月
宮崎市立赤江中学校に入学。同時に新聞配達のアルバイトを始める。そのアルバイト料で買ったラジカセから流れて来た井上陽水の「愛は君」にいたく感動し、以後アルバイト料の全てを音楽につぎ込む。いつかは陽水さんのようになるのだと、この頃からギターを弾き始める。まだ同窓生ではギターを弾ける人がおらず、天狗になる。唯一一人だけのギターを弾ける同窓生とユニット「UFO」を結成する。「UFO」で数々のコンテスト等に出場するが、ことごとく落選。音楽に目覚めた中学生時代は、明るく楽しい時代となる。陽水の他、NSP、拓郎、ビートルズ、ありとあらゆるフォーク、ロックを聴きまくる。特に日本製のものが好きになる。
昭和51年4月
国立都城工業高等専門学校に進学。一年で退学したくなるが、親や先生の反対にあい、やむなく断念。それからやる気をなくして、ほとんど学校には行かず、毎年進級判定会議にかけられるが、どうにか毎年進級、5年間で無事に卒業する。なぜ卒業できたのかは、同窓生の謎となっている。この頃もギターを弾きまくり、「スリム」というバンドに参加する。数々のコンテストに出場するが、なんとかいくつかのコンテストで入賞などする。この頃はサザンが好きだった。
昭和56年4月
就職して、福岡市内に住む。陽水になる夢はこの時に捨てる。20歳になって自分には「プロ」は無理だということを確信する。ギターを弾くこともほとんどなくなった。代わりに「看板屋さん」の世界に身を投じる。
平成3年
30歳になった頃から、またギターにさわりはじめる。と同時にほとんど聴かなくなっていた陽水のアルバムをさかのぼって聴き始める。また、もしかすると陽水になれるのではないかという妄想につきまとわれる。この頃から精力的にオリジナル曲を書き始める。素晴らしいオリジナルの出来に、自画自賛の日々が続く。
平成14年
東京から帰って来ていた「有田氏」と「鬼束・有田組」を結成し、この年に「春」「夏」「秋」「冬」と4回のライブを行う。と同時に、いろいろなイベントなどに出演し、喝采を浴びる。世の中におじさん達のフォークブームが再来する。
平成17年
宮崎に「ライブハウス絃」が出来、レギュラーの出演者となる。開店当時は、毎週2日出演する。
平成18年
博多「白いギター」のオーナーと知り合う。博多にも毎月唄いに行くようになる。
平成20年
「鬼束・有田組」が活動休止に入る。同じ頃「TPO」という3ピースバンドに参加する、というかなぜか自然にこのバンドは生まれた。
平成23年
「こうたろう」と「TPO」で、ライブハウスやイベントに出演中。50歳になって、ようやくライブの面白さがわかる。来年1月に発表するアルバムのレコーディングも進行中。
平成24年
3月8日、オリジナルニューアルバム「50〜Hello〜」を発表。50代になった事で新たな製作意欲におそわれる。「50」〜「55」までの連続CD発表を目標に、日夜音楽活動にはげむ。
平成25年
6月8日、ニューアルバム「51〜escape〜」を発表。福岡・宮崎・都城でレコ発Liveを行なう。
平成26年
6月8日、ニューアルバム「52〜overtime〜」を発表。
平成27年
6月6日、ニューアルバム「53〜Bye-Bye〜」を発表。福岡・宮崎でレコ発Liveを行う。
10月17日、静岡県熱海市でレコ発 Liveを行う。
10月18日、神奈川県小田原市でレコ発 Liveを行う。
同日、熱海 FM-Chaoにて特別番組を収録、30日放送される。
平成28年
6月8日、オリジナルニューアルバム「54~So-So~」を発売。宮崎、福岡でレコ発 Liveを行う。
10月9日、愛知県江南市でレコ発 Liveを行う。